自我がなくなっても友達でいてくれよな

 

 

大人になったら何になりたい?と聞かれて、今の今まで「これ!」と思い浮かんだものが1つもない。

 

 

かわいげのない子供だったので、保育園児の頃から「普通の大人になりたい」と言っていた記憶がある。ただ、一度だけ地元のラジオ曲が出張収録にきて、園児全員にインタビューをしたんだけれども、何か言わなきゃと思って出たのが「たまごっちのまめっちになりたい」だった。まめっちかわいいもんね、目大きいし。手足ちゃんとあるし。ひねくれものは、なりたいものも大人受けするものを選んで、なりたくないものをスラスラと受け答えていました。

 

 

 

26歳になった今も変わらず、何になりたいのか分からず、とりあえず安定を求めて就職するものの、すぐに諦めてフリーターでいる時間の方が長いです。それでも、大学を出たことを無駄にしているとは思わないし、今が楽しければオッケーみたいな感覚で生きています。(かじるスネがあってよかった)

 

 

 

なりたいものって、決して職業がゴールではないから幼少期に言っていた「普通の大人」が一番近いのかなあ?なんて思ったり。ただ「普通」の感覚って各々違うから一番難しいのかも。これだから生きるってのは厄介だ。

 

 

 

 

この歳になって色んな人に出会って、色んな経験をして、この答えが出たような気がします。自分の楽しいと思うことだけしていたいなって。それが仕事だとは言い切れないので、楽しいことをする為に働けたらいいなあとか、わがままを言えば楽しいことを仕事に出来たらいいなあ、とか。未来について考えるのって案外ワクワクしてしまう。

 

 

だからまたのんびりフリーターやりながら、もう少し考えてみようかな。そろそろ皮膚が黄色くなってまめっちになれるかもしれないし。